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津地方裁判所四日市支部 平成7年(わ)141号 判決

主文

被告人両名をそれぞれ死刑に処する。

理由

(犯行に至る経緯)

一  被告人Aは、ホテル専門学校を退学後、名古屋市内や三重県四日市市内、北海道帯広市内などでキャバレーの店長などをして、各地を転々としていたが、昭和五八年ころ、当時内縁関係にあったC子とともに同女の出身地である三重県四日市市に移り住み、以後同市内でキャバレーの店長をするなどしていた。昭和六〇年ころ、被告人Bが経営していた麻雀荘に通っていたことから、被告人Bと知り合って交際するようになり、昭和六二年ころには、同被告人の経営するクラブの店長を務めるなどもした。その後、ゴルフ仲間からの紹介により、当時複数の会社を経営していたDと知り合って交際するようになったが、ほどなく、Dの経営していた会社が、多額の負債を抱えて事実上倒産するに至った。平成元年ころ、事業の再興を夢見るDに誘われて、プリント基盤の製造・販売業や人材派遣業を行う会社の取締役に就任してその経営に関わるなどしたが、結局その経営も行き詰まり、平成五年四月ころには職を失って、以来借財を重ねながらの無為徒食の生活を続けていた。

被告人Bは、昭和三六年ころ、窃盗等により刑務所に服役し、出獄後の昭和三八年ころ、暴力団構成員となったが、その後も、詐欺、窃盗、恐喝未遂、覚せい剤取締法違反等により服役を繰り返していた。昭和五四年ころからは、別の暴力団の構成員となり、内妻のE子とともに三重県四日市市内でスナックやクラブを経営するなどし、昭和六〇年ころ、被告人Aと知り合って交際するようにもなった。昭和六三年七月、自ら経営するスナックの従業員であったフィリピン女性F子との間に男児をもうけ、平成元年六月、同女と婚姻し、ほどなく、暴力団を脱退したが、平成二年七月、覚せい剤取締法違反により懲役二年四月に処せられて刑務所に服役するに至り、その服役中、F子が独り本国に帰ったため、E子がホテルの雑役婦などをしながら、同児を育てていた。平成四年一一月に出獄してからは、再びE子と同棲し、いつの日か再びスナックなどを経営したいと夢見ながら、建築作業員、不動産や古美術の仲介などの仕事をしていたが、十分な収入があったわけではなく、金に困る生活を続けていた。

二  被告人Aは、前記借財を重ねながらの無為徒食の生活を送るうち、一挙に大金を手に入れたいと思うようになり、平成五年五月ころから、事業の再興を夢見て同様に大金を手に入れることを望んでいたDや、暴力団構成員であったGとともに、事務所や店舗等への侵入盗を企て、愛知県大府市内の運送業者や三重県四日市市内の自動車板金業者の店舗等の下見を重ねていた。同年九月ころ、Gの知人であるHやI´ことIがその仲間に加わり、以来同年末ころまでの間に、仲間らとともに名古屋市内今池にある金融業者の事務所や岐阜県美濃加茂にあるパチンコ店で侵入盗を試みるなどした。その後、被告人Bが、被告人Aからの誘いを受けてその仲間に加わり、被告人両名は、DやHとともに名古屋市名東区内にあるパチンコ機械製造会社社長宅等の下見を重ねるなどした末、平成六年一月末ころ、Hがかつて勤めていた運送会社の事務所において侵入盗をすることとし、Hとともに、後記第一の犯行を敢行した。

三  H、D及び被告人両名は、平成六年二月ころ、Dの主導によって、Jの経営する岐阜県加茂郡〈番地省略〉所在の古美術店に侵入して金品を盗むことを計画し、同年三月初めころ、右店舗内の下見をした。その後、Jの自宅(Jの父であるK方居宅)に現金数千万円がある旨の情報を得て、侵入先を右K宅に変更し、J及びKらが外出した後に右K宅に押し入って一人居残っているKの妻を押さえ込み、その間に大金が入っていると目される金庫を探し出してこれを強奪することを企てるに至り、K宅の下見をしたり、スタンガンや催涙スプレーを購入するなどして、その準備を重ねる一方、Iほか一名をその犯行に加えることにした。H、D及び被告人両名は、同年三月二八日、愛知県小牧市内にあるD方居宅に参集した上、犯行手順等について打合せをし、翌二九日朝には、Iほか一名をも交えて打合せを重ね、同日午前八時ころ、D宅を出発して前記K宅に向かい、後記第二の犯行に及んだ。

四  Hは、後記第二の犯行を敢行したころから、自ら窃盗団の首領のごとく振る舞い、被告人両名に対し、傲慢な態度をとり、盗みに入る場所を探してくるように強圧的な言動で指示するようになるとともに、自宅近くの愛知県一宮市内に住むDを、電話やポケットベルで呼び出して、自らの手下あるいは雇い入れた運転手のごとく酷使するようになり、さらに、被告人両名に対し、自らが被告人両名とは無関係の事件で警察から目を付けられている旨の話をして、「自らが捕まったら弁護士や保釈金の世話をしろ。そうしないと、お前たちのことも全部バラすぞ。」などと度々脅すようになった。

被告人両名は、Hの傲慢な態度や強圧的な言動に業を煮やすとともに、Hから右のごとく脅されたことから、このままではHに一生弱みを握られて苦渋の日々を送ることになりかねないと考えるようになり、さらに、Dと交際を続けていれば、同人が事業を再興した折に自らも多くの利を得ることができるであろうとの期待を抱いていたものの、HがDを手下あるいは運転手のごとく酷使しているのをみて、Hが存在する限り、その期待がかなえられないと考えるようになった。こうして、被告人両名は、Hに対して憎悪の念を抱き、Hを殺すほかないと考えるようになり、互いに顔を合わせる度にHの殺害について相談を重ね、Hとの交際を絶ちたいと悩んでいたDに対しても、機会あるごとに、Hを殺害したいなどと話すようになった。

その後、被告人両名は、Hに架空の窃盗計画を持ちかけて、同人を四日市市内におびき出し、被告人Aの居宅に誘い込んだ上、Hに睡眠薬の入った缶入りコーヒーを飲ませて眠らせ、その間に同人の後頚部をアイスピックで突き刺すなどして同人を殺害する旨の計画を企てるに至り、Dに対しても、右計画の具体的内容を明らかにした。そして、被告人Aにおいて、アイスピックなど殺害行為に使用する道具を買い揃えるとともに、Hを被告人A宅に誘い込むために、平成六年四月四日に四日市市内の被告人A宅近くの家で二千万円を盗み出すことができるという架空の話を作り上げ、Hに対し、これを前記K宅における強盗を敢行する前夜である同年三月二八日に話して聞かせたり、その後、盗みに入る場所である旨偽って、かつて知人が住んでいた被告人A宅近くの家へ下見に連れ出すなどし、被告人Bにおいて、持っていた睡眠薬を被告人Aに渡すなどして、その計画遂行の準備を進めた。また、同年三月三一日ころ、Dとともに岐阜県加茂郡八百津町内にある丸山ダムを訪れて、同人に対し、H殺害後にその死体をここに投棄する旨を説明するなどして、右計画の遂行に加担するように働きかけた。Dは、被告人両名からの誘いに対し、直ちには賛意を表さないでいたが、最終的には、Hを殺害する計画に加わることにした。

Hは、同年四月四日の夕方、被告人Aらが作り上げた架空の窃盗計画に釣られて、Dと四日市市内の被告人B宅に赴き、被告人両名及びDとともに、その晩侵入盗を試みるという話になっている同市内の家やその周辺の下見などをしていた。その際、被告人Aは、いったん自宅に戻り、缶入りコーヒーに睡眠薬を混入させるなどして、H殺害の準備を整えた。被告人両名は、H及びDとともに再び目的の家まで赴き、その様子をみるなどして、Hを被告人A宅に誘い込む機会を窺っていたが、同日午後一一時ころ、Hを被告人A宅に誘い込むことを断念した。しかしながら、被告人Aが自宅へ戻ろうとしたところ、Hは、予想外にも自ら被告人A宅へ行くと言い出した。そして、Hは、被告人A宅において、被告人Aから渡された睡眠薬入りの缶コーヒーを、それと知らずに飲み、間もなく眠り込むに至った。そこで、被告人両名及びDは、計画どおり、共謀の上、後記第三、第四の各犯行に及んだ。

五  被告人両名は、Hを殺害した後、しばらくの間、その死体が発見されはしないかと戦々恐々とした日々を送っていたが、一年ほどが経過しても、Hの死体が発見されることはなかった。そして、被告人両名は、なおも金に困る生活を続けており、殊に、被告人Aは、金融会社等に多額の借金があったほか、自宅の家賃を相当長期間滞納しており、滞納額一八〇万円の支払を強く催促されていた。そのうちに、被告人両名は、借金を返済したり、会社やスナックを経営するための資金として、再び犯罪に及んででも大金を手に入れたいと考えるようになり、平成七年三月中旬ころ、ついに、被告人Bの知人で古美術商を営むLを殺害した上、その所持金を強奪する計画を企てるに至った。右計画は、当時、三重県知事選挙が近く実施される情況にあったことを利用し、ある三重県知事候補者を後援する人物が、その候補者の違法な選挙活動資金を捻出するために、所有している古美術品を隠密裡に売却することを希望しているという架空の話をLに持ちかけ、その話に乗って古美術品を購入しようと大金を持参したLを被告人Aの居宅に誘い込み、Lの後頚部をアイスピックで突き刺して同人を殺害して、その所持金を強奪し、その後、同人の死体を前記丸山ダム等に投棄するというものであった。

Lは、かつて暴力団に所属していたことがあり、そのころに、被告人Bと知り合ったが、ほどなく暴力団を脱退して、飲食店や産業廃棄物処理業、古美術商などを営んでいた。被告人Bは、その後も、古美術品の取引を通じて、Lと交際していたが、平成六年ころ、暴力団の元幹部である者から取引の仲介を頼まれた古美術品について、Lに対して売却方を依頼し、現物を見せる段取りまで整えたものの、同人から一方的に現物を見ることすら断られたり、同人に手形割引を依頼したところ、つれなく断られたことなどがあり、同人に対して腹を立てていた。そこで、被告人Bは、被告人Aに対し、Lを強盗殺人の標的に据え、同人を殺害してその所持金を強奪することを提案し、被告人Aも、Lについて、被告人Bから、えげつない奴で、夫婦仲も悪いなどと聞かされたこともあり、Lを殺害しても悲しむ者は誰もいないであろうなどと考えて、これに賛同した。

被告人両名は、平成七年三月二〇日ころ、被告人Bの知人に対し、Lを殺害した後に、同人が乗って来ると思われる自動車の処分を依頼するなどし、また、同月二三日午後四時ころ、予め電話でLと会う約束を取り付けた上、喫茶店で同人と会い、被告人Aにおいて、前記知事候補者の選挙対策委員を装い、Lに対し、右の架空の古美術品売買の話をそれが本当のことであるかのごとく詳細な説明を加えながら持ちかけるとともに、捻出した資金の使途が非合法なものであることを理由に、決して口外しないように指示するなどして、着々と計画遂行の準備を重ねた。その後、被告人両名は、右の古美術品売買の話に関心を示したLから、何度となく取引を催促する旨の電話が入るなどしたため、計画実現の手応えを感じ、被告人BがLを被告人Aの居宅まで案内し、被告人AがLをアイスピックで突き刺して殺害するという役割分担のもと、同月二九日に犯行に及ぶことを決定した。そして、同月二八日、Lに対し、翌二九日午後七時に喫茶店の駐車場で待ち合わせた上、古美術品の売主のところへ案内する旨を連絡するとともに、被告人Aにおいて、アイスピックやコンクリートブロック、ビニール紐などの犯行に使用する物品を買い揃えたり、死体を運搬するためのトラックを借り出すなどし、被告人Bにおいて、粗大ゴミ置場から、死体を梱包するためのブリキ製の衣装函を調達するなどして、犯行の準備を整えた。

被告人Bは、同月二九日、予め決められた役割分担に従い、Lを待ち合わせ場所まで迎えに出て、同日午後八時ころ、同人を被告人A宅まで連れ帰った。被告人Aは、自宅が選挙活動の事務所であるかのように装って、Lを自宅に招き入れ、ここで古美術品の売主のところへ案内する者が来るのをしばらく待つように言って、Lを引き止めた。まもなく、被告人Bは、自宅へ戻り、被告人AがLを殺害するのを待つこととした。

しかしながら、被告人Aは、自分がLを殺害する役回りになっていたとはいえ、被告人Bが殺害現場となる場所から独り立ち去ったことに腹を立て、被告人Bが戻ってくるまではLの殺害に着手しないことを決意する一方、被告人Bが戻るのを待つ間、Lが妻と電話をしていた様子をみて、その夫婦仲は必ずしも悪くはないものと感じ、同人が古美術品売買の話を既に妻に口外しているのではないか、そのために、ここで同人を殺害すれば、その犯行が容易に発覚することになるのではないかなどと考えて、その殺害の着手を躊躇していた。

被告人Bは、被告人Aがなかなか殺害の実行に至らないことから、これに加勢する必要があるものと考え、同日午後一一時ころ、スパナを隠し持って被告人A宅へ赴いた。しかし、被告人Bもまた、Lが自ら乗ってきた自動車を被告人A宅のマンション前の路上にハザードランプを点滅させながら駐車していたり、被告人Bの携帯電話を使用して電話していたのをみて、犯行の発覚を恐れて、その殺害の実行をためらっていた。

被告人両名は、Lに対して帰宅するよう暗に促すなどしたものの、同人がなおも待ち続ける態度を示したことから、同人が用便のため席を外した際に小声で互いの意思を確認し合うなどして、やがて決心を固めるに至り、その殺害の機会を窺っていた。そして、同月三〇日午前一時三〇分ころ、Lが肩が凝ったかのように首を回していたのをみて、殺害の好機が到来したものと考え、被告人Aにおいて、Lの肩を揉むような素振りを見せて、その背後に回り、ついに、後記第五及び第六の各犯行に及んだ。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、

第一  Hと共謀の上、平成六年一月二七日午前一時三〇分ころ、愛知県東海市〈番地省略〉所在の株式会社甲野運送本社営業所二階事務所内において、同社代表取締役M管理にかかる現金約六一四万八五六七円及び一般区域貨物運送事業免許三通在中の金庫一個(時価約三万円相当)を窃取し、

第二  D、I´ことI及びHほか一名と共謀の上、平成六年三月二九日午前一〇時三〇分ころ、岐阜県加茂郡〈番地省略〉所在のK方居宅において、同人の妻N子(当時七三歳)が一人になるのを見計らって右居宅を訪れた上、同女が応対のため玄関に出るや、同女に対し、まずHが背後から同女を羽交い締めにして後ろ向きに倒し、被告人A及びHほか一名が同女の顔面、両足にガムテープを巻き付け、その両手を後ろ手にして手錠をかけるなどの暴行を加えて、その反抗を抑圧し、被告人B、H及びIが右居宅内からK夫妻の長男であるJ所有の現金一〇〇万円及び印鑑一個ほか二四点在中の耐火金庫一台(物品時価合計約一二万円相当)を搬出し、もってこれを強取し、

第三  これまで被告人両名及びDとともに窃盗などの犯行を重ねていたH(当時四三歳)が、被告人両名に対して傲慢な態度や強圧的な言動をするようになったことなどに業を煮やし、Hを殺害することを企て、右Dと共謀の上、平成六年四月四日午後一一時ころ、三重県四日市〈番地省略〉乙山ビル六〇六号室の被告人Aの居室において、Hに対して睡眠導入剤を混入した缶入りコーヒーを飲ませてその機会を窺い、同月五日午前〇時ころ、同所において、まず、被告人Aが眠り込んだHの後頚部をアイスピックで突き刺し、これに驚いて飛び起きたHと被告人Aが揉み合いとなるや、被告人Bが再度右アイスピックでHの後頚部を強く突き刺してこねまわし、さらに、被告人A及びDがうつ伏せに倒れたHの頚部をビニール紐を巻いて締めつけ、よって、そのころ、同人を右絞頚により窒息死させて殺害し、

第四  Dと共謀の上、Hの死体を布団袋で包み、ロープで縛るなどして梱包し、これをワゴン車に載せ、コンクリートブロックを取り付けた上、岐阜県加茂郡八百津町所在の丸山ダムまで運搬し、平成六年四月六日午前一時ころ、右死体を同町八百津字向エ洞一一五八番地の一四所在の丸山ダム内旅足橋の上から旅足川に投棄し、もって右死体を遺棄し、

第五  共謀の上、古美術商を営むL(当時五〇歳)を殺害してその所持金を強取しようと企て、平成七年三月二九日午後八時ころ、同人を古美術品の売主に引き合わせるように装って前記被告人Aの居室に誘い込み、その機会を窺い、同月三〇日午前一時三〇分ころ、同所において、まず、被告人AがLの後頚部をアイスピックで突き刺し、次いで、被告人BがLの左側頭部をスパナで殴打し、さらに、こもごもLの頚部をビニール紐を巻いて締めつけ、よって、そのころ、同人を右絞頚により窒息死させて殺害した上、同人の着衣及び前記乙山ビル前に駐車中の普通乗用自動車内から、同人の所有又は管理にかかる現金約四三〇万円を強取し、

第六  共謀の上、Lの死体をブリキ製の衣装函に詰め込み、紐で縛るなどして梱包し、これをトラックの荷台に載せて前記丸山ダムまで運搬し、コンクリートブロックを取り付けた上、平成七年三月三〇日午前七時ころ、これを前記旅足橋の上から前記旅足川に投棄し、もって右死体を遺棄したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)

被告人Bは、平成二年七月二三日津地方裁判所四日市支部で覚せい剤取締法違反の罪により懲役二年四月に処せられ、平成四年一一月二六日右刑の執行を受け終わったものであり、右事実は検察事務官作成の前科調書(乙39)及び判決書謄本(乙53)によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の各所為はいずれも刑法(平成七年法律第九一号による改正前、以下同)六〇条、二三五条に、第二の各所為はいずれも同法六〇条、二三六条一項に、判示第三の各所為はいずれも同法六〇条、一九九条に、判示第四及び第六の各所為はいずれも同法六〇条、一九〇条に、判示第五の各所為はいずれも同法六〇条、二四〇条後段にそれぞれ該当するところ、判示第三の各罪につきいずれも所定刑中有期懲役刑を、判示第五の各罪につきいずれも所定刑中死刑をそれぞれ選択し、被告人Bについては、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により判示第一ないし第四及び第六の各罪の刑につきそれぞれ再犯の加重をし(ただし、判示第二及び第三の各罪についてはそれぞれ同法一四条の制限に従う。)、以上の各罪はいずれも同法四五条前段の併合罪であるが、判示第五の各罪につきいずれも死刑に処すべき場合であるから、同法四六条一項本文により他の刑を科さず、被告人両名をいずれも死刑に処し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人両名にいずれも負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  判示第一及び第二の各犯行は、被告人両名が、ほか一名とともに、右共犯者がかつて勤めていた運送会社の事務所において、現金六〇〇万円余り在中の金庫を窃取し、その約二か月後、ほか四名とともに、被害者宅に老齢の女性が一人残るのを見計らい、同女に対して暴行を加えて、現金一〇〇万円等在中の金庫を強取したという事案である。

右各犯行は、いずれも事前に犯行場所を下見するなど、周到にその準備を重ねた末に及んだ大胆かつ計画的なものであって、被害金額も大きい。さらに、本件第二の犯行については、その手段たる暴行の態様が、老齢の女性被害者を羽交い締めにした上、その顔面及び両足にガムテープを巻き付け、両手を後ろ手にして手錠をかけたという悪質なものであり、同女の受けた精神的、肉体的苦痛にも,右犯行を機に心臓に負担がかかり、長期間にわたる入院治療を余儀なくされたことなどに照らし、甚大なものがあったといえ、右各犯行に積極的に関わった被告人両名の刑責は、重いといわざるを得ない。

二  判示第三及び第四の各犯行は、被告人両名が、判示第二の強盗の数日後に、右強盗の共犯者の一人と共謀の上、同様に右強盗等の共犯者であった被害者に睡眠薬入りの缶コーヒーを飲ませて眠らせ、その間に被害者の後頚部をアイスピックで突き刺すとともに、その首を紐で絞めて、これを殺害し、その死体をダムに投棄したという事案である。

右各犯行は、被告人両名が自らその具体的計画を企図した後、ほか一名をこれに誘い入れ、事前にアイスピックや睡眠薬を用意したり、死体の投棄場所を下見して確認するなど、周到にその準備を重ねた末に敢行した計画的なものである。そして、その殺害の態様は、知らないうちに睡眠薬を飲まされて眠り込んでいた被害者に対し、その後頚部を突然アイスピックで突き刺し、その後驚いて飛び起きた被害者と揉み合って、再度その後頚部をアイスピックで強く突き刺してこねまわし、瀕死の状態に至らしめ、さらに、被害者の首に紐を巻き付け、その端を力一杯引き合ってとどめをさしたという執拗かつ残忍なものである。その死体遺棄の態様も、殺人の犯跡の完全な隠蔽を企図して、死体を布団袋に詰め込んで人里離れたダムまで運搬し、コンクリートブロックを重石として取り付けた上、これをダムに注ぐ川の中に投棄したというものであり、その後右死体が発見されるまでに約一年二か月もの期間が経過していることを併せ考えれば、その犯情は極めて悪質である。

犯行の動機については、被害者が被告人両名に対して傲慢な態度をとるようになるとともに、自分が警察に逮捕された場合の保釈金や弁護士費用の工面などを要求し、もし右要求に応じないときは被告人両名らの悪行を公表すると申し向けて脅迫するようになったことなどに業を煮やしたというものである。しかしながら、それは、一緒に犯罪を重ねていた者からその犯罪に関しての弱みにつけこまれたというものであり、そもそも自らが進んでその者とともに悪行を重ねていたことに基因する「身から出た錆」にほかならないのであって、これを理由に殺害に及ぶこと自体、身勝手極まりないものであるといわざるを得ない。

被害者にも落度があるとはいえ、わずか二か月余りの間に、窃盗、強盗にとどまらず、実に身勝手な動機からこのような冷酷非情な犯行に及んだ被告人両名の刑責は、真に重大である。

三  判示第五及び第六の各犯行は、被告人両名が、被告人Bの知人で古美術商を営む被害者に対し、架空の古美術品取引の話を持ちかけ、その話に応じて古美術品を購入しようと大金を持参した被害者を被告人Aの居宅に誘い込み、その後頚部をアイスピックで突き刺し、左側頭部をスパナで殴打し、頚部をビニール紐で絞めつけ、同人を殺害した上、その所持金約四三〇万円を強奪し、その後、同人の死体をダムに投棄したという事案である。

右各犯行は、被告人両名が、いずれも自ら積極的に強盗殺人の具体的計画を企図した上、周到にその準備を重ね、三重県知事選挙が近く実施される情況であったことを巧みに利用して、被害者に対し、違法な選挙活動資金を捻出するために古美術品を売却するという話を持ちかけ、大金を準備するよう働きかける一方、捻出する資金の使途が非合法なものであることを理由に口止めを図るなどした末に及んだものであって、極めて計画的かつ巧妙な手口のもとに敢行された残虐非情な犯行であって、被害金額も大きい。

殺害の態様は、判示第三の犯行と同様、被害者の後頚部を突然アイスピックで突き刺したほか、左側頭部をスパナで殴打するなどし、さらに、鮮血にまみれながら激しく抵抗する被害者の首に紐を巻き付けて絞首し、ついに窒息死させたという執拗かつ残虐なものであり、死体遺棄の態様も、強盗殺人の犯跡の完全な隠蔽を企図して、死体を小さなブリキ製の衣装函に押し込み、判示第四の犯行と同様、人里離れたダムまで運搬し、死体にコンクリートブロックを重石として取り付けた上、これをダムに注ぐ川の中に投棄したという極めて冷酷無残なものである。

また、犯行の動機は、金に困っていた被告人両名が、借金を返済したり、会社やスナックを経営するための資金欲しさに、一攫千金を狙ったものであり、何ら酌むべき事情はない。被告人Bについては、平成六年ころ、被害者から古美術品売買や手形割引の件で苦汁を嘗めさせられたことがあったことも、その動機の一つであるとされるが、それは直ちに被害者の落度として評価し得るものではないし、その後ある程度の期間が経過してから本件犯行に及んでいることなどに照らせば、単に強盗殺人の標的選択の際に考慮されたというにすぎず、その動機は、結局物欲以外の何ものでもないというべきである。

被告人両名が判示第五及び第六の各犯行に至るまでには、判示第三及び第四の各犯行以来、右犯行が発覚しないまま一年余りの期間が経過しているが、それは、被告人両名にとって、尊い人命を奪ったことに対する反省悔悟の情を抱くには十分すぎる時間であり、被告人らに与えられた更生への好機であったというべきである。しかしながら、被告人両名は、何ら更生の意欲を示すことなく、ただ自らの犯行の発覚を恐れて戦々恐々とした日々を送っただけであるのみならず、かえってその被害者の死体が発見されなかったことに味をしめて勢い付き、判示第三の犯行と同様に完全犯罪を企図して、特段の落度もない被害者に対して、大金欲しさに単なる凶行に及んだものであって、そこには、「悪魔に魂を売った」という被告人Aの言葉に象徴されるように、自己の利己的物欲の充足のためには手段を選ばず、かけがえのない人命を犠牲に供することを敢えて辞さない残忍無情な反社会的性格を窺うことができる。

被害者は、被告人両名の巧妙に仕組まれた罠にはまり、古美術品取引の機会を得たものと信じて疑うことなく犯行現場に赴き、その取引を待つ間に、肩を揉む振りをして背後に回った被告人Aから、突然、後頚部をアイスピックで突き刺され、被告人Bからも、左側頭部をスパナで殴打されたり、頚部を紐で絞められるなどされ、「Bやん、みんな分かっとんのやで」などと大声を張り上げながら必死に抵抗したものの、ついに力尽きたものであって、その無念の情は、筆舌に尽くしがたいものがあると思料される。また、一家の支柱を失った遺族の受けた精神的打撃も深刻であり、殊に、当時いまだ小学生であった幼い三人の子供達の愁嘆の念は、察するに余りあるものといえ、被害者の妻も、被告人両名を極刑に処することを強く望んでいるものである。さらに、被告人両名の犯行が社会一般に与えた衝撃も甚大であって、被告人両名の刑責は、重大極まりない。

四  被告人両名は、捜査段階から素直に本件各犯行を認めて、改悛の情を示していること、判示第五の犯行に及ぶに際しては、これを躊躇し、被害者に帰宅するよう暗に促すなどしたこともあったこと、被告人Aは、前科前歴がなく、女性や子供など弱い立場にある者に対しては気を遣う面もあったこと、被告人Bは、当時、多発性脳梗塞等を患っていて体調がすぐれず、思うように就労できなかったことから、将来の生活を案じて本件各犯行に及んだ面もあること、現在八歳になる幼い子供がいることなど、被告人両名にとりそれぞれ有利に酌むべき事情も存する。

しかしながら、右の被告人両名に有利な諸事情を十分に斟酌し、かつ、現行法上死刑の制度が存置されているとはいえ、死刑が尊貴な人命の剥奪を内容とする最も冷厳な刑罰であり、真にやむを得ない場合にのみ適用されるべき窮極の刑罰であって、その適用には特に慎重でなければならないことを十分考慮しても、前述のような本件に顕れた一切の情状を総合勘案すれば、被告人両名に対しては、極刑をもって臨むよりほかはないものと思料する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柄夛貞介 裁判官 大工 強 裁判官 中吉徹郎)

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